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  • 【タサン志麻さん流】きゅうりとハムのポテトサラダ|時短なのに、手抜きじゃない理由

    【タサン志麻さん流】きゅうりとハムのポテトサラダ|時短なのに、手抜きじゃない理由






    タサン志麻さん流・きゅうりとハムのポテトサラダ|家庭料理に潜む小さな革命


    タサン志麻さん流・きゅうりとハムのポテトサラダ|家庭料理に潜む小さな革命

    料理家・タサン志麻さんが作る「きゅうりとハムのポテトサラダ」。
    シンプルな家庭料理の中に、深い哲学と優しさが宿る――そんな一品を紹介します。

    🎥 動画はこちら


    材料

    • じゃがいも
    • きゅうり
    • ハム
    • 酢またはレモン汁
    • マヨネーズ

    作り方

    1. じゃがいもの下準備: よく洗い、濡れたままラップで包み600Wで4分→裏返して4分加熱。柔らかくなるまで繰り返します(合計約12分)。
    2. きゅうり: スライサーで薄切りにして塩もみし、水気をしっかり絞る。
    3. ハム: 食べやすい2cm角に切る。
    4. じゃがいもを潰す: 温かいうちに皮を剥き、潰して塩と酢(またはレモン汁)で下味をつける。
    5. 仕上げ: 粗熱が取れたらマヨネーズを加え、きゅうりとハムを混ぜて完成。

    ポイント

    • じゃがいもは皮付きで加熱することで旨味を逃さず、ホクホクに。
    • 具材ごとに味をつけることで、味の層ができて奥行きのある仕上がりに。
    • 作り置きする場合は、少し濃いめに味付けするか、食べる前に味を調整するのがおすすめ。

    📝 感想

    ポテトサラダ――。
    その名を聞いて、知らない人はいないだろう。
    それは家庭の象徴であり、食卓の記憶そのものだ。

    けれど、タサン志麻さんのポテトサラダを見たとき、私は思った。
    「これは、家庭料理の中に潜む小さな革命かもしれない」と。

    ポテサラに宿る“寛容”という美学

    ポテトサラダには、正解がない。
    いや、むしろ「みんなの正解」がある料理だ。

    マヨネーズたっぷりの人もいれば、酸味を効かせる人もいる。
    きゅうりを入れる派、入れない派。ハムの代わりにベーコンを使う人もいる。
    どれも間違いじゃない。全部が、その家庭の「物語」なのだ。

    だから、志麻さんのポテトサラダを見たときも、
    私はこう思った――
    「それも、美味しそうだね」と。

    否定の代わりに、共感を。
    これこそが“ポテサラコミュニケーション”だ。
    人と人をつなぐ、最もやさしい料理の対話。

    「時短」ではなく「選択」――皮付きレンジの哲学

    このレシピで最初に目を引くのは、じゃがいもの加熱法だ。
    皮を剥かず、濡らしたままラップに包み、レンジで加熱する。

    一見「時短テク」に見えるその手法は、実は真逆だ。
    志麻さんは“手抜き”ではなく、“理由のある選択”をしている。

    「茹でるより蒸したほうが美味しい」
    だからあえて、レンジ。

    火の通り方、皮の下に閉じ込められた旨味――。
    すべてを計算したうえでの「科学と感性の融合」だ。
    家庭料理にも、理屈と情熱が共存できる。
    それを体現するのが、志麻さんのスタイルだ。

    味をつけるのは“料理”ではなく“食材”

    もうひとつ、心を動かされたのは味付けの考え方だ。
    我が家では「ポテトサラダ」という料理に味をつけていた。
    塩も酢も、マヨネーズも、全部をまとめて“全体に”混ぜ込む。

    でも志麻さんは違う。
    じゃがいもに塩と酢で下味を、きゅうりには塩もみを。
    それぞれの素材に、ひとつずつ“物語”を与えている。

    その結果、口に運ぶたびに表情が変わる。
    一口目はじゃがいもの優しい酸味。
    次はハムの塩気。
    そして最後に、きゅうりの爽やかさが追いかけてくる。

    まるで一皿の中に“リレー”があるような、味のドラマ。
    志麻さんは、料理ではなく“素材”と対話しているのだ。

    料理とは、暮らしの哲学である

    ポテトサラダというごく日常的な料理。
    けれどその中に、志麻さんの思想がある。

    「手を抜かないこと」と「無駄を省くこと」は違う。
    「時短」は悪ではなく、暮らしを整えるための知恵。
    「家庭の味」は固定されたものではなく、
    世代を越えて変化していく“生きた文化”だ。

    そう気づいた瞬間、私は少し背筋を伸ばした。
    料理とは、単なる“手仕事”ではない。
    それは生き方の延長線上にある“哲学”なのだ。

    終わりに――ポテトサラダは人をつなぐ

    ポテトサラダ。
    それはどんな人にも馴染みがあり、どんな人の記憶にも残る。

    でも今日、志麻さんのポテトサラダを見て思った。
    この料理には、人をつなぐ力がある。

    「うちのポテサラはね」
    「うちはこうしてるんだ」
    そんな会話が生まれるたび、食卓の空気は少しやわらぐ。

    ポテトサラダは、愛の共通言語。
    そして、暮らしの中に潜む“やさしい哲学”なのだ。